坂下幸雄のプロフィール
簡易プロフィール
■ 会社名 株式会社Mapフィナンシャル
■ 生年月日 1981年5月21日生まれ
■ 出身地 東京
■ 出身校 都立冨士森高校
■ 経歴
株式会社プリンスホテル
⇒AIG
⇒㈱Mapフィナンシャル
坂下幸雄の詳細プロフィール
人生は運と思考次第
「チャンスをつかむ絶好の日は今日である」
アメリカの作家、ジョン・C・マクスウェルのセリフが、自分の好きな言葉です。
「人生は運と思考次第」という思いを、小さい頃から抱いている気がします。
運の強さは子供時代から。手相は両手マスカケ線
4人家族で八王子市に生まれた私は、幼いころは内気な性格でしたが、小学校から野球を始め、よくいる元気なスポーツ少年でした。野球が好きで、部活としては高校まで続きました。
幼い頃の記憶があまりないのですが、しっかり覚えているのは中学生の頃のエピソード。
夏休みのある日、夜遅くに学校に忍び込んで友人とプールへ泳ぎに行ったのです。
そりゃあもうたまにする「ちょっと悪いこと」だから、皆トランクス1枚でキャッキャと楽しく遊んでいたのですが、警備員が巡回にやってきて、「こらっ!!」と。
急いでプールから飛び出し、トランクス1枚で猛ダッシュ。
フェンスを飛び越え、「全員逃げられたか?」と振り返ると、一緒にいた友人のひとりが鉄線にトランクスが引っかかってびりびり破れて、警備員に捕まってしまったのです。
捕まった彼は今や警視庁勤務。
幼少期の悪いことって、大げさに言ったら一瞬一瞬が勝負の世界ですよね。
ぼんやりと、「俺、運強いなあ」とその時に思ったせいか、今でも自分のことをそう思い続けるきっかけになっております(笑)。
同世代はプロ野球選手だらけ。甲子園を目指した3年間
高校では推薦で都立の富士森高校に進学します。
卒業生で一番の有名人は、将棋の羽生善治さんです。在籍していた時期は被っておりませんが、「羽生さんがいたんだよ」と、先輩からよく聞かされていましたね。
私自身は小学校からの野球を続け、硬式野球部に入部。
うちのチームは都立ながら真剣に練習していて、甲子園とまでは言わずとも、「一勝でも勝ち続けたい」と、熱を持って毎日を過ごしていました。
しかし、自分と同級生の代の東京都には、後にプロ野球選手となる数多くいたんです。
近鉄バッファローズに入団し、メジャーまで行った岩隈投手が堀越高校出身の同世代。
彼と練習試合で対戦したときはあまりに打てなさそうだったから、セーフティバントを試みて成功させたことは結構自慢ですね(笑)。
岩隈選手はその後、監督に1時間くらいバント処理の練習をさせられていました(笑)。
そして、迎えた3年の最後の夏。西東京大会のベスト8まで進んだんですが、国学院久我山高校に敗北していまいました。
このときも、広島カープからドラフト1位で選ばれる河内投手に、プロ注目の148キロのストレートをバンバン投げられ、我がチームは散発の3安打。
「プロに行くのは、こういう人間なのか」
と、圧倒的な力を目の当たりにして、高校生活のすべてを注いだ野球の道をそこで諦めました。
同世代にはほかにも日ハムに入団した森本稀哲選手、1学年上には小谷野選手がいて、明確な差を痛感していたのでしょう。
今になれば同級生としては誇らしいですが、当時は悔しかったですね(笑)。
就職氷河期、品プリがファーストキャリア
高校を卒業し、旅行関係の専門学校に入学。このときはそれほど深く考えることなく、ぼんやりと、
「グランドハンドリング系の空港職員として空港で働きたい」
と将来を想定していました。
しかし、時は2001年。アメリカで同時多発テロが発生した年です。
各航空会社が経営難に陥ったことから航空業界全体の就職窓口が狭まり、空港での就職を断念します。
そして、専門学生時代に系列のホテルでアルバイトをしていた縁もあって、品川プリンスホテルに就職。
俗に言う「品プリ」の職員が、私のファーストキャリアになりました。
かなりの肉体労働 品川プリンスホテルでの6年間
ただ、一見華やかに見える品プリでの仕事も、実際に働いてみるとかなりの肉体労働でした。特に若い男性は体力仕事が中心。
24時間勤務が基本形態だったのですが、当時は今よりも「品プリ」ブランドが光り輝いていたので、仮眠時間も2時間ほどしか取れないほど。
文字通り、馬車馬のように働いておりました。そもそもホテル業は離職率の高い業界です。
ただ、当時の私は就職氷河期を経験していたこともあり、「とりあえずいけるところまで登りつめてみよう」と、毎日がむしゃらに働きました。
新卒時代の肉体労働から、宿泊者のサービスを担当するベルボーイ、エントランスに立つドアマンと、ホテル内の序列を着実にステップアップしていき、
辞める最後の2年間は、一部セクションの責任者を担当するまでに。
結局、6年間品川プリンスホテルで働きました。
俺の人生、このままでいいのか?
給料自体はそれほど多かったわけではないのですが、名の通ったホテルでしたので、海外のセレブやスポーツ選手が宿泊されることも多く、彼らが気前よく渡してくれるチップが自分たちのちょっとしたボーナスになるのです。
20代前半の頃には、富裕層の教養を身に着けるために、休みの日に同僚とゴルフへ行くなど、プライベートもそれなりに充実した生活を送っておりました。
ただ、セクションの責任者として働いていたある日、唐突に今後、「品プリホテル業界」で働き続けたときの自分の将来が想像できてしまったんです。
同じことを繰り返して、最後はホテルのフロアを管轄するキャプテンになって終わり。
その行く先がスッと頭のなかで浮かんだとき、
「俺の人生、このままでいいのか?」
と、激しく自問自答しました。
そして、「安定しているけど、ここに居続けるのは違う。動くなら今しかない」と決意。
すぐに、ホテルのツアープランなどを売り込みに企業を回る営業部への異動願いを提出したんです。
「チャンスを掴む絶好の日は今日」ですね(笑)。
しかし、ホテルマンから営業部隊への異動は、社内のルールとして認められていませんでした。
同じ会社で働き続ければ、物理的にも品川から異動できないことが判明したことで、完全に転職を決断。
思い立った2007年の間に、外資系の保険会社であるAIG生命に転職しました。
結果至上主義の環境を求めて転職した外資系保険会社。ただ・・・
結果至上主義の環境を求めて転職した外資系保険会社でしたが、その道は簡単ではありませんでした。
当時は26歳で、20歳から品川プリンスホテルという、ある種の閉鎖環境で働いていたので、世の中のことをあまり知らない若造でした。
品プリを辞める前の最後のタイミングで営業部門への異動を願ったこともあって、
「結果至上主義の環境に身を置いてみたい」
と、シビアな営業に対して漠然とした憧れがありました。
そして、そのタイミングでたまたま募集していたAIGスター生命の営業職に応募し、生命保険販売員としての人生がスタート。
しかし、世間知らずは世間知らず。
「完全歩合」や「自営業」の意味も分からなかった私は、大変な苦労をすることになります。
というのも、外資系の保険営業は、億単位の年収を稼ぐ人もいれば、合わない人は3か月で辞めてしまう、本当にシビアな環境です。
金融を勉強をするところから始めた私は、長い下積みの時期が始まりました。
もちろん、最初はまったく契約してもらえず、ホテルマン時代に貯めたお金も、契約が取れなくて給料がもらえないからどんどん減っていく。
お金がないから吉野家の牛丼をミニにして節約するレベルでした。
ようやくまともな金額の給与を得られるようになったのは、転職してから5,6年経った頃からでしょうか。
その間に、リーマンショックが起きてAIGは買収され、私はMapフィナンシャルの前身の代理店へ移籍。
AIG時代はまったくダメで、移籍してからようやく、保険の持つ意味を理解し、お客様から契約を預かれるようになりました。
思い立った日がチャンスだが、今日、明日ですぐには変わらない
契約を預かれるようになってから、お客様との対話の中で常に心がけていることは、顕在化していないリスクがあるかどうかを判断し、よりよい選択肢を提示することです。
そして、その日の行いを、毎日継続して続けていくこと。
「チャンスを掴む絶好の日は今日」ですが、「人生が劇的に変わる日は今日」ではありません。
モチベーションや考え方ですべてが劇的に変わることはなく、今日のような明日がやってくることがほとんど。
でも、その今日のような明日は、積み重ねで日々変わっていきます。
それは、仕事も、私たちが扱う金融商品も同じです。少しずつ「複利」が効いてくるのです。
最近は個人事情主や会社を経営されている方との仕事も多く、FPでありながら、お客様から「複利」について勉強させて頂く機会も多々あります。
この強みを、お客様のライフプランに合わせて根気強く毎日提示していくのが、私の今の積み重ねだと思っています。
これからのwithコロナ時代に響く、「ゴルフは人生」という至言
さて、唐突ですがここ3年ほど、本腰を入れて趣味のゴルフをプレーしています(笑)。
昔からスポーツが好きで、運動神経は悪くない方なのですが、これまでで一番難しいと感じたものがゴルフです。
メンタル、技術、コースマネジメント、一緒に回る人が楽しくプレーできているかといった気配りと、さまざまな要素がゴルフには絡んでいます。
ラウンドを回りながら複雑な要素を含んだゴルフをプレーしていると、物事を瞬時に判断しなくては行けない場面も多く、逆算してその都度、最適だと思える選択をしなくてはなりません。
ドライバーを持てば、ティーショットでは言い訳が聞きませんし、練習をしてもロケーション次第で成績は全く変わります。
その場には、仲間や仕事関係の方も居合わせる。メンタルがいかに大事か、思い知らされます。
また、ゴルフには「完璧」がありません。
プロゴルファーでも、完璧なショットは一試合で数打あるかないか。完璧にできたら最高だけど、完ぺきではない場合を想像してクラブを選ぶんです。
こう考えてラウンドを回っていると、「ゴルフは人生だ」という格言が、スッと腑に落ちてきます。単純に年齢を重ねたせいもあるでしょうが(笑)。
そしてこのゴルフと繋げるわけではありませんが……、
2020年は、コロナで私たちの働き方が大きく変わった1年でした。
想像を絶する早さで社会の様態が変化していき、場面に応じて瞬時に判断をする必要に迫られたときもあったかと思います。
私たちエージェントの働き方も大きく変わりましたが、働き方は社会と一緒に変化すれど、お客様の大切な資産を守るという、私たちの仕事のコアな部分は変わりませんでした。
これからのより多様な時代に応じた、生き方の選択肢を提示するのが私の仕事です。