佐倉孝幸のプロフィール
簡易プロフィール
■ 会社名 さくらFP事務所
■ 役職 代表
■ 生年月日 1983年11月15日生まれ
■ 出身地 愛知県一宮市
■ 出身校 愛知大学経営学部経営学科
■ 経歴
豊和工業株式会社
⇒ほけんの窓口グループ株式会社
佐倉孝幸の詳細プロフィール
ごくごく平凡な家庭で育つ
愛知県の一宮市に生まれ、父がプログラマーでフリーランスだったこと以外は、ごくごく平凡な家庭で育ちました。
小学校ではサッカーとピアノを習い、中学高校はテニス部に所属。小中高とずっと地元の学校に通っていたので、友人も小学校からの付き合いの人がほとんど。
高校で本格的にテニスにハマり、平日も土日もテニス三昧の日々でした。高2の時に出場した市民大会で優勝できたのはいい思い出です。
テニスをしたり友人と遊んだり、派手ではないですが平和に楽しく過ごしていました。
真面目な学生時代 大学在学中にFP資格を取得
大学は一浪して愛知大学に進学。実家から通っていたのですが、片道2時間もかかる距離でした。
そのため部活やサークルには入らず、当時地元にあった99円ショップで大学卒業まで3年間以上働いていました。
普通なら下宿を考えますが、実家で猫を10匹飼っており、かわいすぎて離れることができませんでした。
大学には真面目に通っていたのと、浪人していたので、ひとつ上の学年の友人からノートや勉強法を聞いて、テスト対策は完璧。卒業に必要な単位を3年生時に取得するほど、模範的な大学生でした(笑)。
そして、だんだん暇になってきた大学3年生の時。周りの友人の影響で興味を持ったことが株式投資とFPの勉強でした。
株は経済の勉強半分、遊び半分で始めて、貯金の一部の30万円をいろいろな会社に分散投資。
みんなで「あーでもない、こーでもない」なんて言いながら投資先を考えることが楽しくて、話のネタに千葉まで株主総会に行ったりもしました。
その一環で、友人につられて始めたのがFPの勉強です。
「生活の役に立つだろう」と空いた時間で勉強していたら、FP2級を取得。
これが現在の仕事に繋がっていくとは思ってもみなかったので、このときに取っておいて良かったです(笑)。
親の死を覚悟 大学4年生の時に人生を考える
大学4年生になり、夜までアルバイトをしていたある日、母親から一通のメールが届いていました。
「お父さん(僕の父親)が倒れたので市民病院にいってきます」
詳細がわからず電話も繋がらない。
急いで帰宅したところ家には誰もおらず、部屋の電気は付けっぱなし。フライパンには作りかけの炒め物が放置。
これはただ事ではないと思い、病院へ。
受付で病室を確認して向かっていたところ、ちょうどその病室から母親が出てくるところでした。
母親に状況を聞いたところ、父親が脳出血で倒れ、集中治療室に入っているとのこと。
かろうじて意識はあるようだったので、父親の元まで行って呼びかけたところ、何か話そうとはしているけど呂律が回らず、うめき声のようにしか聞こえません。
看護師さんが「ここがどこかわかりますか?」と言うと、父親は「うーうー」と答えたため、看護師さんは分かっていないという判断でしたが、僕には「市民病院」って言っているのがはっきり分かりました。
ちゃんと意識はあると思ったので、手を握って「母親と弟のことは自分に任せて」と言い、父親が少し頷いたことは今でも覚えています。
予断を許さない状況でしたが何とか一命は取りとめ、集中治療室から一般病棟へ、それから2回転院をしつつリハビリに励み、5か月後に無事退院。
実家が古い家だったので、手すりなどリフォームの補助金申請、障碍者手帳の申請、デイサービスの手配など考えることが山積みで、学生ながら母親と協力してひとつひとつクリアしていって、いい経験になりました。
今思えば、お金の大切さについての初めての学びでした。
父親は半身マヒの後遺症は残りましたが、リハビリの甲斐あって、介助があれば杖をついて歩くこともできるようになり、今も猫に囲まれながら元気に暮らしています。
ファーストキャリアは機械メーカー。総務、事務系で10年働く
父親が倒れる少し前、就活では銀行やメーカーという、愛知県民らしい手堅い企業を受け、銀行と工作機械メーカーから内定をもらいました。
どちらに進むか悩みましたが、土日休み&転勤なし、当時は営業職も嫌だったので、総務や事務系が確約されていたメーカーを選択。
王道をゆくような、社会人としての一歩を踏み出しました。
就職したメーカーは、工作機械をはじめ、サッシや路面清掃車、鉄砲などを製造する上場会社で、私は裏方である総務に配属。
購買業務を担当し、基本的にはデスクワーク。気が向いた時に現場に顔を出すくらいで、職場としてはのんびりした環境でした。
モノづくりに特別興味があったわけではないですが、現場の職人さん達の技術はリスペクトしていたので、その人達に気持ちよく仕事をしてもらえるよう、サポートすることにはプライドを持って仕事をしていました。
例えば部品の納期。
発注してから半年かかるベアリングという部品があるのですが、想定以上に工作機械の受注が多くなり、ベアリングが足りなくなることがありました。
このままだと客先への納期が間に合わず、ベアリングが納入された瞬間から現場は休日返上の突貫作業となります。職人さん達の負担は計り知れず、急ぎすぎて不具合が発生したら、さらに徹夜作業に突入です。
ベアリングメーカーと事前打ち合わせをして見込み生産はしてもらっていたのですが、さらに納入を前倒ししてもらうため、他部署の上司とも連携してギリギリのところで生産調整をし、何とか納期に間に合わせるといったことを度々行っておりました。
胃が痛くなることもありましたが、現場や関係部署から「ありがとう、助かった」と言ってもらえることにやりがいを感じておりました。
しかし、基本的には仕事を淡々と自分のデスクでこなす日々。入社して数年が経ち、30歳に差し掛かろうとした頃、誰もが考えてしまう、
「自分、このままでいいのかな……」
と、思いを巡らせ始めてしまったのです。こうなったら、基本的には止まりません(笑)。
楽しそうに働くFPとの出会いで人生が変わる 次のステージへ
人生に悩む「30歳病」を抱えていたちょうどその頃、プライベートでは、社会人になって通い出したテニススクールで出会った現在の妻と結婚し、一軒家を建てました。
私生活はかなり充実し始めた一方で、仕事については悶々とする日々。
そんなタイミングで、住宅ローンの借り換えを考えていた際に、ローン会社からあるFPを紹介されました。そして、このときアドバイスをしてくれたFPの方が、僕の目には大変魅力的に映りました。
というのも、「相手のために」ととても楽しそうに仕事をしていて、お金のプロとして様々な提案をしてくださいました。
妻ともども仲良くさせていただき、自然とこちらから「ありがとう」の感謝の言葉が出てくる。僕の仕事の理想像がそこにはありました。
「自分はやっぱりお金を通して人生をサポートできるFPという仕事が好きだ。自分の力で周りの人たちを幸せにしたい」
そういった思いが、徐々に胸の奥底に降り積もっていきました。ただ、すでに結婚もして家族がいる身。
生活に不自由しているわけでもないし、親の介護も考えないといけない。数年モヤモヤとした時間を過ごしていました。
最終的に後押ししてくれたのは、妻の一言でした。
「何もやらずに後悔するくらいなら、やってみてから後悔したら?」
そして、ようやく腹をくくって、
「やっぱりFPの仕事がしたい。転職しよう」
こう決意したのは新卒で入社してから10年目。
ただ、30歳を過ぎてからの転職は難しいことは分かっていたので、まずはハローワークを覗いてみました。
しかし、求人サイトを見ても未経験で受け入れてくれる金融の会社はほとんどありませんでした。そのなかで、ようやく見つけた求人が、CMでも有名な「ほけんの窓口」。
最初は、「保険かあ……」と漠然としたイメージを抱きましたが、
「FPになるためには、保険の知見も必要。悪くないキャリアのはず」
こう考えて、試験を受けました。そして合格。
33歳、新米の保険販売員として、セカンドキャリアをスタートさせました。
一筋縄ではいかなかった、営業への転身 修業期間
転職して早速、熱海に連行されての窓口研修がスタート。
ここではヒアリングや説明の練習など、基礎的なモノを叩きこまれました。
営業は一から身につけなくてはならなかったので、自分には必要な経験を詰めましたが、30歳過ぎでの一週間の缶詰め状態は大変です(笑)。
幸い、同期も中途採用ばかりだったので、励ましあって乗り越えました。
その後地元に戻ってから2か月間の研修。「話す、聴く」といった練習や、40社以上もある保険商品の違いを頭に叩きこんでいきました。
そして店舗に配属されてからは、OJTで先輩に付いて現場で経験を積んでいきました。
2か月ほどが経過し、一人でようやくできるかな…というタイミングで、人事異動。
なんとショッピングモール新店のオープニングスタッフに選ばれてしまいました。
一からの立ち上げなので、段ボールの開梱作業からスタート。勝手もわからず、先輩後輩関係なく手探りで作業して、何とかオープンに漕ぎつけました。
どう集客するかも自分たちで考え、モール内でティッシュや風船も配ったり、なかなかできない経験をさせていただきました。
オープンしてからは、さすがショッピングモールの「ほけんの窓口」です。
個人で年間100件以上の相談(業界では多い方)を、受け続けていく日々が始まりました。
もちろん、最初からうまく対応、説明ができたわけではありませんでした。
さまざまな会社の商品を取り扱っていたため、初めて提案する商品では、必要書類の不備を起こしてしまったり、初のオンラインでの申請で戸惑ってしまったりというミスを起こしてしまったことがありました。
一番の糧になった経験は、とある公務員のお客さまの対応をする際に、書類不備を発生させてしまったときでした。
初めて行う手続きだったため、書類準備や申込のやり方など事前に2重3重に確認することが当たり前ですが、忙しさにかまけてザッと確認したのみで本番に突入しました。
結果、手続きがひとつ漏れてしまい、お客さまにまた来店していただくという手間をかけさせてしまいました。当然お怒りで、店長と一緒に謝罪する事態に。
そこで、自分の仕事の向き合い方への甘さを痛感しました。お客さまから足を運んでいてくれていたので、どこか流れ作業のように感じていた自分。
その認識を改め、保険の販売とはお客さまの資産を預かる大切な仕事であることを、改めて肝に銘じる経験となりました。
自覚した自分の強みは「話しやすさと共感」
こうして一歩一歩、遅ればせながら保険の販売員としてのキャリアを積み重ねていきました。
そのなかで、お客さまからの評価で自信を持った部分は「話しやすさ」です。
元々、男女問わず友人から恋愛や家庭の相談をされることは多かったのですが、お客さまから、
「佐倉さんは最初から商品の説明をせんで、こっちの話をずっと聞いてくれるから嬉しいわ」
「話しやすいし、一緒に悩んでくれてありがとう」
「話を聞いてくれたおかげで、将来の不安がなくなったよ」
こういった言葉をかけてくれるお客さまと、数多く出会えました。
上司からも「共感を大事にする姿勢が良いね」と褒められることが多かったので、
「自分の強みって、人の話を聞く力なんだな」
このことを30歳半ばでやっと自覚。
同時に、「相手の話や相談を丁寧に聞いてあげることで、その人がやりたかったことを共有し、どうすれば実現できるか考えることができる。これこそ、自分の目指す仕事のかたちだ」という思いも強まっていきました。
包括的な資産戦略の提案のためFPとして独立 さらなる自分の理想へ
2年間、ほけんの窓口で働いた後、2019年3月から独立系FPとして活動を開始。
保険の提案だけでは限界があることを痛感しており、元々得意だった資産運用の知識も活かし、中立的なアドバイスができる立場となりました。
家を建てたい、子供たくさん欲しい、将来の不安を何とかしたい、みなさんそれぞれ夢や目標は違います。
それに対して、ライフプランニングを中心として、100歳まで生きてもお金に困らない安心と、理想を叶える手段を提供しています。
その中でお客さまの要望に応えるかたちで生命保険、損害保険、NISAやイデコなどの証券、住宅ローンといった商品も取り扱っております。
そして今、働いていて最も楽しいと思う瞬間は、お客さまと「FIRE」という、アメリカで流行している考え方で意気投合できたときです。
アメリカのFIREの考え方を取り入れた「日本版FIRE」
FIREとは、Financial Independence Retire Earlyの略で、「経済的自立をし、早期にリタイアする」という考え方です。
経済的自立とは、ひとつの会社や仕事に収入を依存せず、家賃や配当など資産収入で生活できる状態のことです。
僕はアメリカのFIREを日本人に合うよう解釈した、いわば日本版FIREの考えを持って提案をしています。
日本版FIREの特徴は、仕事を辞めることが目的ではなく、仕事をやめても生活ができる状態にすることで「生活費のためではなく、本当にやりたいことをする」ことを目的とした考え方です。
給料の額に囚われなくてもいいので、バリバリ働くのものんびり働くのも、もちろん仕事を辞めるのも、本人の自由です。
この相談をしていただける方は弁護士や公務員などのご職業が多いのですが、定年より早く経済的自立をすることで「家族を安心させられる」「やりたい仕事を選ぶことができる」とのお声をいただいております。
この実現のために、貯蓄、運用、保険の3つを包括した提案をし、お客さまに喜んでもらえた時が最も充実感が得られています。
もちろんライフプランニングは一度作って終わりではないので、ご希望される方は毎年見直しをし、常に軌道修正しながら二人三脚で目標に向かっています。
一生のお付き合いができるので、前職では経験できなかった喜びです。
というのも僕自身、これからのさらなる理想として
「気の合う仲間と共に、時間にとらわれずゆったりとした生き方をする」
をテーマに掲げていて、
今後10年以内に、既存のお客さまとの顧問契約と投資信託の報酬の最低限だけでできる生活を目標にしているから。これが私のFIREですね(笑)
自分が転職したきっかけも、サラリーマン時代の
「定年まで何も考えずに働く人生」
に対して疑問に思ったところからでした。
なんとか自分を変えようと昔の人生を探ってみて、株やFPの勉強が好きだった金融的な一面に目をむけた結果、今のFPとして働く自分があります。
そして、今のこのFPという仕事は自分に合っていると思えますし、現在はFP業を通じて、人生の仲間を作っていく途中だと考えています。
仲間と一緒に経済的自立をし、ゆったりとした幸福な時間を共に過ごす。そのために、仲間に資産形成・防衛の戦術を授ける。今はこの道の半ばなのです。
もし、このFIREに興味があれば、ぜひ僕にご相談ください。もうその時点で、私とあなたは同じ理想を共有する仲間です(笑)。必ずやお力を添えさせて頂きます。
また、そうでなくても、何かお困りのことがございましたらなんでもご相談していただけると嬉しいです。
「聞き上手の佐倉」が、あなたをお待ちしております。
動画にてご挨拶させて頂きます
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