村尾謙一のプロフィール

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 名前 村尾 謙一(ムラオ ケンイチ)

 会社名 株式会社Mapフィナンシャル

 生年月日 1959年9月6日生まれ

 役職 執行役員

 出身地 埼玉県

 出身校 駒澤大学

村尾謙一の詳細プロフィール

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幼少期:高度経済成長期に生まれる

私は1959年に現在の埼玉県和光市で両親と妹の当時増え始めた、いわゆる核家族の長男とした生まれました。

時はまさに高度経済成長期、輝く未来に向けて日本中が活気に溢れた時代です。

 

60年代、幼い私はミッション系の幼稚園に通い、アメリカのTV番組から窺い知れる眩しい日常生活に憧れ、また21世紀と言う未来をあらわす言葉にドキドキしたものでした。

初めて知った総理大臣は佐藤栄作さん、その後長期政権もあり子供の私は総理大臣は永遠に佐藤さんだと思い込んでいました。

中学時代:楽観的な時代を謳歌

70年代、長ずるにつれてテレビなどで耳にする護送船団方式、一億総中流社会などと言う言葉を耳にする頃、

インフレに泣く庶民の生活は、その一方で収入もそれなりに上がりその質は間違いく向上して行きました。

 

加えて持続する物と信じられた高福祉制度も手伝い、

「周りに歩調を合わせ道を踏み外さえしなければ、ある程度安泰な将来が見える」

そんなある意味で楽観的な時代だったと記憶しています。

 

振り返って見るともしかすると真の意味では資本主義社会ではなかったのかも知るませんね。

 

一方で少し色気づいた中学生の私は、当時流行のIVYルックに身を包み、明日の事などどこ吹く風とばかりに中学生活を謳歌していました。

 

70年代の終わりには、戦後からの奇跡の復興を称賛するジャパンアズナンバーワンというアメリカの経済学者の書籍が話題となり、幼い頃憧れたアメリカと遂に肩を並べかけたかにさえ感じ彼の国への情景の念も薄れて行く事となりました。

大学を辞め、アパレルメーカーの仕事に


80年代初頭
世界中のファションが集まる東京、もはや世界のファションの中心は日本だとばかりに勉学を省みず、

当時、最先端の生活様式とファションの震源地と鳴物入りでオーブンした渋谷PARCOパート3ショップ店員のバイト生活を謳歌。

 

ついには大学を辞めファーストキャリアとなる社員5人のアパレルメーカーに営業、兼企画、兼生産管理、兼売掛金回収、つまり川上から川下まで全ての業務に携わる仕事に就き、

薄給ではありましたがモラトリアム全開だった大学生からすれば社会の裏表と厳しさを知る良い体験となりました。

 

ただただ楽しい好きな仕事ではありましたが、世の中の遥か外れに座している不安から3年後に当時活気のあった西武百貨店の系列の高級既制服の輸入卸の会社に潜り込みました。

当時、海外のサプライヤーに対してオフィシャルな立場を争う国内のインポーター達はその争いに勝つために市場規模を無視して海外ブランドを競って買い漁りました。

 

そして80年代後半、
グローバリゼーションと言う声が高まるなか、護送船団に護られ日本型社会民主主義と揶揄された横並びの社会構造は改革を余儀なくされ、とりわけ会計基準のグローバル化により社会全体に蔓延る様に日本中に累増した損失が顕になりました

バブル崩壊、会社清算を経験


やがて90年代初頭のバブルの崩壊

それ迄は輝いて見えた企業、とりわけ銀行、証券などの金融機関、百貨店などの流通業が大きな打撃を受ける中、「飛ばし」などという言葉が流行したりもしました。

 

私の会社も御多分に漏れず市場規模を無視した大量の仕入れ競争を親会社の資金力を担保に不幸な事に勝ち抜き、結果売れ残った在庫の山が経営を逼迫しました。

 

そうした在庫商品を月末に出荷し月初に返品を受け架空の売上を操作する、いつしか社内ではこの事を「飛ばし」と呼ぶ様になり、当時の業務の半分はこの作業でした。

 

そして2003年、親会社がこれも当時よく耳にした債権放棄による民事再生を受けるなか

私の会社も膨上がった在庫のにより今後採算の目処が立たないと債権者より判断され清算会社となりました。

 

当時、経営に携わっていた事で在庫が如何に経営を悪化させるかを痛いほど知り、次の仕事は在庫の無いものが良いと考えるに至りました。

セカンドキャリアとしての外資系保険会社

そんなある意味では短絡的な理由で選んだのが外資系保険会社でした。

セカンドキャリアのスタートです。

 

外資系の保険会社です、これまでの生緩さは微塵もありません、成果を出さなければ事実上の解雇もあります。

そうした過酷な環境下、ファショントレンドには敏感に反応出来た私も金融となるとからきしでした。

もちろん、人類史上最も価値のある発見とさえ言われる複利の意味さえわかりませんでした

 

そこで先ずは毎日欠かさず日経新聞に目を通す事を課しました。

最初の頃は紙面の散乱する単語の意味さえ分からず、読み込むのにさえ相当てこずりました。

 

しかし諦めず継続すると、ある程度の時間の経過と共に言葉の意味が理解出来る様になり、それぞれの時系列の関連もわかり、今では毎日目を通さなければいられない程です。

使命感:私だからこそ伝えられること


この様に40歳頃までに戦後の興隆期からバブル崩壊、そして会社清算を経験しました。

永遠と勘違いした佐藤内閣も、その後田中、三木、福田、大平、中曽根と変わりました、世の中が良くも悪くもこの20年とは違い、常に上向いて止まる事なく変動した時代でした。

 

さて、いつも思うのですが、
現在の日本という国は、これまで人類が誰も経験し得た事のない桃源郷なのだと。

こんなに平和で豊かで機会平等な世は今もそして過去にのどこにもないだろうと。

 

現に海外では、今この瞬間も戦争や紛争、難民生活、或いは食糧危機なとに不安な日常に暮らす人たちも少なくありません。

 

しかしそんなユートピアも永遠ではない様です。

今後は大きく転換して行かざるを得ないのではと感じてしまいます。

 

ご存知の通り、超高齢社会という構造的な問題、そして医療、年金、介護等の福祉を維持する為に膨れ上がり、未だ累増が止む気配のない国の債務残高

更には長く続くデフレに抗う結果の政策金利の消失と浮上してこない物価上昇率などが一体何を示唆するのか。

 

おそらくこれまでの変化を大きく超える想定外の転換さえも予想される現在の日本。

 

皆様の幸せを願い、共にそれぞれの解を求めて行く事が

日経新聞により時系列に並ぶ客観的事実と高度成長期からバブルの崩壊、その後リーマンショック等の経験と単利と複利の違いを明確に理解出来るに至った

元ファションオタクの私に与えられた使命と考えています。

株式会社Mapフィナンシャル
村尾 謙一

動画にてご挨拶させて頂きます

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